民事信託の真意
死を乗り超える技術としての民事信託
死は、人から家族を、そして財産を強奪し、遺された家族と財産は路頭に迷う。死にゆく本人の無念たるや想像を絶する。また、長寿社会においては認知症などの精神疾患によって家族や財産を認知できなくなることがある。親が子を認知できなくなる。その財産を認知できなくなる。あの豊かだった表情が、見られなくなる。これもまた、現代においては死に匹敵する絶望を家族に与える。認知・記憶における死といえる。
人は家族を持ち、財産を保有するようになれば当然に死の脅威に怯えるものだ。
信託とは、死を乗り越えるための人間の知恵の結晶だ。
現行の日本の法制度において、人がその死後望む財産に関する法律関係を永続できるものとしては社団・会社などがある。それは法(の認めた擬)人という形を取るのが大原則だ。法人という形をとらずに、財産そのものに法的な力を与え、その法律関係を永続させる制度は実のところあまり例がない。信託は、その例外を正面から認めた制度だ。
生命を死から遠ざけることは難しいですが、家族と財産を路頭に迷わせないことはこの信託を活用することでできる。財産を移転し、他人に管理をさせ、愛する人たちに財産の給付を行うという信託の本質はまさに、愛する人の近くにいられなくなる恐れを克服する法技術である。
信託は、そのような非常に深い想いを形にする法技術だから、細かいことを法令で規律することは望ましくない。そこで、信託法制はきわめて柔軟に信託を組成することを認めている。
この信託を活用すれば、死を乗り超えることができる強靭な家族の絆をつくり、家族そのものに求心力をもたらすことができるのだ。