GLOWTH
成長とは【脳と体のリンク】【自己認識と他者認識のリンク】、そして最終的には【自利利他のリンク】のスキルにより、社会において価値ある人になっていくことです。
この成長のプロセスに完成はありません。
さて社会において価値ある人は、「多くの人に必要とされる人」です。
そういう結果を出すために認知され、興味をもたれ、欲望され、記憶される「行動」が必要です。
そして、行動とは「運動」です。
自分が何をどう動かすとどんな結果が出るのかを試行錯誤しつつ学ぶことが必要です。
ここは、まったくもって物理の世界です。
ここを精神の世界だけで頑張ると確実に鬱になるでしょう。
「なんてダメなの・・・。自分は」とあきれて絶望するだけ。これはよくありません。
学生時代に野球、バレーボールなどの球技やゴルフ、射撃など道具を使う競技をしたことがあります。自分の体の動き、ボールやクラブ、鉄砲、弾の動きも何もかも、「見えていない部分があり、そこは絶対に思い通りに動かせていない。だからイメージ(狙い)と実際の動き(挙措)、結果(着地)に差異があり、確実に望む結果は出ない。」ということは、よくわかります。
重要なのは、「第三者の反応・評価というフィードバック」により、この見えてない部分の動かし方を学んでズレをなくし、思い通りに体とボールや道具を動かすことを学ぶことです。
ここでは、フィードバックを喜ぶ『素直さ』の有無が明暗を分けます。
思ったこと(イメージしたこと)がそのまま出来るようになる「原理」を体得する。
そのための知識と経験(フィードバックによる自己変容)の取得プロセスがまさに成長といわれるものです。
セオリ―を無視した気合と根性の反復練習は継続すればするほど間違って固定してしまうことがあります。
下手をすると、そこで意外にも、偶然良い結果が出たりします。
しかし、基礎が間違っているので間違いなく応用はできません。
つまり他の分野においては結果が出ません。
その能力・技術は抽象度が低い、論理性、再現性がないわけです。
結局、成長を感じたければ、まずは、目の前の課題である運動を機械的にやる。
いわば「ドリル」です。
ドリルというと馬鹿にされがちです。
非人間的で、閃きも何もなく、創造性からほど遠いイメージがあります。
しかし、どのような分野でも、速く成長しようとすれば、まず、体と対象の位置(座標)または自分からの距離と角度とかを正しく認識して、狙いを付けて体を動かして、結果が出て、「運動」を覚えることが必要です。
それだけが、「自信」といわれるものになります。
仕事であれば、何か任された場合、正しい位置(=その業務の目的、期限時の状態、リソース(工数・費用・他人の協力)、守るべき手順、絶対にやってはいけないこと、結果測定方法)を認識の上、実際にやってみて、どうなったか。できていれば上司から賞賛され、不足あればこってり指摘され、しみじみと反省し、そして改良して、次なるドリル=業務に取り組む。
ドリルにより、セオリーとあてはめを繰り返して(それが「守」というもの。)、その後に「破」、「離」となることが可能になります。
そこには別の次元があります。
人間ならではの閃きであり、創造性の発揮される分野です。
DCAーDCAーDCAを、『機械的に一定期間実施』する。
その後、「うーんそろそろ別の結果を出したい!」となって新たな次元である目標設定「PLAN」を行って、新たなPDCAサイクルが発生します。
これを真のモチベーション(内発的動機付け)と呼びます。仮のモチベーション(外発的動機付け。他者から与えられる幼稚なレベルのモチベーション)と明確に分けて考えます。
ドリルによる脳と体、心身一如は、組織の人間関係=上下関係、左右関係でも同じことが言えるでしょう。上司・自分のイメージ(認識事実)と部下・同僚のイメージ(認識事実)のリンクがないのが普通です。
それで、うまくいくわけがありません。
まずD(共通のルール設定=理念・ビジョン・戦略、計画)C(ルールの徹底・責任遂行)A(賞賛と叱責)。
DCAを機械的に一定期間実施します(守)。
うまくいきだしたら、同じように「破」、「離」によりさらに次元を超えていく。
こういう螺旋状で未完なプロセスにより幸福感のある生き方ができると思います。
相手どころか、自分の体すら思い通り動かない。
他者は決して変わらないし、他者に期待するものでもない。
その代わりに、自分の認識と変化により周りの世界を変えていく。
組織においては、メンバーは組織と自分の望む結果の実現のため、自発的に行動して、賞賛と叱責を受けつつ、成長を実感しつづけることが、唯一の幸せであるべきです(組織外では何が幸せかは個人の自由ですが)。